幹事長あいさつ

じん肺患者の権利救済を図り、じん肺の予防を目指すことにより、じん肺をはじめとする職業病を根絶することを目的として、1978(昭和53)年、首都圏の弁護士が「じん肺弁護団」を結成して、アスベスト企業、ゼネコンなどを被告とする裁判に取り組みました。

1979(昭和54)年11月に長崎北松じん肺訴訟(原告患者数63名)が提訴されたことを契機にして、北海道(金属鉱山、炭鉱)常磐(炭鉱)、筑豊(炭鉱)などでも集団提訴する動きが出てきました。じん肺訴訟を全国的に連帯して取り組むために、1980(昭和60)年4月「全国じん肺弁護団連絡会議」を結成し、以降、40年にわたり、「全国じん肺弁護団連絡会議」は「謝れ、償え、なくせじん肺」を実現するたたかいを続けてきました。

当初は、炭鉱、金属鉱山のじん肺被害救済が主でしたが、その後はトンネルじん肺訴訟、造船じん肺訴訟などに取り組んできました。2005(平成17)年のクボタショック以降はアスベスト被害が社会問題化し、以降、毎年1,000名を越える方がアスベストで労災認定を受けています。現在、全国各地の裁判所で700名を超える元建設労働者が、国とアスベスト建材製造メーカーを被告として「建設アスベスト訴訟」をたたかっています。

ILO・WHOは、「2030年までにはじん肺を根絶するべきである。そのために各国政府はじん肺根絶計画を策定するべきである。」と表明しています。私たちはこのような国内外の動きとも連帯しつつ、1日も早く日本からじん肺とアスベスト被害を根絶するために闘い続けます。

全国じん肺弁護団連絡会議 幹事長 弁護士 鈴木 剛